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新潟県の歴史~武将編

投稿日:2014/5/31

おはようございます(*^▽^*)みなみです♪ 

 

今日もまたまた昨日に引き続き晴天(°∀°)b !!! 

 

いやー気持ちいいですね♪ 

 

 

では本日は新潟を代表する武将!!我らが大先輩、そして日本中の皆様が必ず一度は耳にした事のある「上杉謙信」のお話を少しだけ(*^▽^*) 

  

 

僕は歴史が大好きで謙信は大好きな武将の一人です(^-^)/ 

 

では簡単に謙信の紹介を・・・ 

 

越後国の武将で、越後の虎とも越後の龍とも呼ばれた武将です。上杉謙信は私欲の少ない、清廉の人として知られています。戦国時代屈指の戦上手であり、野戦においては戦国武将の中でも最高の指揮統率力を持つ戦術家といわれています。そのあまりの強さゆえに北条氏康、武田信玄も野戦を避けて持久戦をとっていました。 

  

 

あの武田信玄も恐れていた武将Σ(゚д゚;) 

 

しかし、有名な話がありますよね☆ 

  

 

『敵に塩を送る』 

 

武田信玄が敵である駿河(今の静岡県)の今川義元から生活に欠かすことができない塩の供給を止められ困窮したとき、信玄の宿敵である上杉謙信はその苦しみを見て、永年の敵対関係があるにもかかわらず、甲斐へ塩を送ったことから、始まった言葉だということです。 

  

 

なんて男らしい、義理堅い人間なんだ(  ゚ ▽ ゚ ;)  

 

この時代はやるかやられるか、とるかとられるかの奪い合いの時代。そんな中、男の美学、義理と人情を重んじる謙信のこの行動は、今もことわざとなり、現代に生きています。 

  

 

これににちなんでもう一つ(^O^) 

 

謙信は自らの利のために領土を拡大していません。武田信玄が死去すると、上杉家の家臣達は今が好機と知り出陣を謙信に進言しましたが「若い勝頼が継いだばかりに襲うのは大人気ない行為だ」と兵を出さず、長篠の戦で武田家が織田家から敗れると、再び家臣たちは出陣を進言しますが「人の落ち目を見て攻め取るのは不本意だ」と言って攻めることはありませんでした。 

  

 

いやーーーー男ですね!!いや漢ですね!! 

 

部下からの信頼も厚く、戦略家で戦いになると負け無しだった男。 

  

 

そしてこの人間性。 

 

上杉謙信から学ぶビジネス本や生き方の本も多数出版されています(^∇^) 

 

新潟に住んでいる僕らこそ、この男『上杉謙信』から沢山学ぶべきですよねヾ(@°▽°@)ノ 

 

では本日もよい1日を・・・・о(ж>▽<)y ☆

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